と思いきや

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「先ほど仕事で失敗したと仰いましたね。奏は何をしたのですか?」

病院へは、喬允の車で向かうことにした。その車中で、喬允は気になっていたことを本多に訊ねた。本多は前を見据えたまま、

「ちょっとしたお使いだ。ある荷物を運び、男からその代金を受激光脫毛價錢け取って指定口座に振り込む。それだけだ」
「それだけ? なのに何故―――」
「相手の男が、ここには金を持ってきていないと言った。金は事務所に置いてあるから取りに来てくれと。その場合、決して荷物は渡さず、すぐ私に連絡するよう言ってある。なのに奏は私に連絡もせず、男に付いていった。案の定、事務所には四人の男が待ち構えていて、奏から無理やり荷物を奪おうとした」

ハンドルを握る手がじんわり汗ばむ。ここまで聞けば、善良な一般人の喬允にもさすがに見当が付いた。

「その……“荷物”というのは何ですか?」

本多はちらと横目で運転席を一瞥し、

「それは聞かない方がいいと思うが」

その答えで十分だった。喬允はぎ楊海成ゅっとハンドルを握り直し、

「……それで、奏は………」

本多はかすかに口元を綻ばせ、

「男たちからの壮絶な暴力で瀕死の大怪我か、ダメージが大きかったのは寧ろあちらさんの方だった。正直なところ、驚いた。奏がこんな武闘派だったとはな」
「あいつは強いですよ。外見も言動も目立つから、学生の頃はよく先輩に目を付けられて呼び出されてましたけど、決して屈せずいつも倍にして返してました」
「ああ、その手の話は聞いたことがある。そのたびに幼馴染みが守ってくれたと奏は言っていたが、それはあんたのことだろう?」

喬允は唇を吊り上げて自嘲をこしらえ、

「守ったなんてとんでもない。ただの事後処理ですよ。全てが終わっ優纖美容好唔好た後に青ざめた顔をして駆け付け、暴力はいけないなんて毒にも薬にもならない説教をして、何があったと騒ぎ立てる教師をうまく宥める。その程度です」

我ながら卑屈だなと思いつつも、喬允の自虐口調は止まらなかった。



ぽなどには

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「ああ、これは|杉《すぎ》|勝《かつ》|之《の》|助《すけ》の絵だな」
 おじさんはそういって、くすんだ銀色のがくぶちにおさまった、大きな油絵のまえに、ちかぢかと顔をよせた。
 その絵というのは、たて一メートル五十センチ、よこ一メートル十センチもあろうという、大きな油絵だが、いちめんにベタベタと、赤い色がぬりつけてあって、なんとな鑽石水く気味の悪いかんじなのだ。
「おじさん、杉勝之助ってだれ」
 |良平《りょうへい》が聞くと、
「杉勝之助というのはね。戦争中に、若くして死んだ天才画家なんだ。世間から赤の画家といわれるほど、赤い色がすきで、どの絵を見ても、赤い色がいちめんにベタベタとぬってあるからすぐわかる。ああやっぱりそうだ。ここに杉のサインがある」
 と、おじさんはいくらかじぶんの|眼《がん》|力《りき》をほこるように絵の右下のすみを指さした。見ると、なるほどそこに、杉勝之助の名まえが、ローマ字でかいてある。
「おじさん、杉というひと知っているの」
「いや、特別こんいだったわけじゃないが、なにかの会で二、三度あったことがある」
 良平のおじさんは、|清《し》|水《みず》|欣《きん》|三《ぞう》といって、いまうりだしの小説家だが、いたってのんきなひとで、まだおくさんもいない。そして、じぶんの姉にあたる、良平のおかあさんのところに、同居しているのだ。
 良平のおとうさんは、さる大会社の重役だが、仕事の関係で、しじゅう旅行しているので、家がぶようじんだからと、こちらからたのんで、欣三おじさんにいてもらっているのである。
 良平は、このおじさんがだいすきだった。
 小説家のなかには、ずいぶん気むずかしいひともあ蔡加讚るということだが、欣三おじさんにはすこしもそんなところはない。学生時代、テニスの選手だったというだけに、いかにもスポーツマンらしい、さっぱりとしたひとで、仕事のひまなときなど、良平を相手に、キャッチ.ボールなどをしてくれるし、また、いままでに読んだ、外国のおもしろい小説の話をしてくれることもある。
 おじさんは夕がたになると、町をさんぽするのが日課になっていたが、そんなとき、良平のすがたが目につくと、
「おい良平、おまえもいこう」
 と、いつもきっとさそうのだった。
 良平の住んでいるのは、郊外にある、おちついた学園町だったから、夕がたのさんおあつらえの場所だった。良平の一家は三月ほどまえに、そこに家を新築して、ひっこしてきたばかりなのである。
 そして、その日も良平は欣三おじさんにさそわれて、さんぽのおともをしたのだが、そんなとき、おじさんがかならずたちよるのは、駅前にある古道具屋であった。
 古道具屋というのはおもしろいところだ。ミシンだの蓄音機だのという、文明の利器があるかと思うと、古めかしい仏像だのよろいだのがある。お琴があるかと思うとオルガンがある。ベッドや洋服だんすのような、大きなものがあるかと思うと、豆つぶほどのお人形があったりする。そして、それらのものがふるびて、くすんで、ほこりをかぶって、ゴタゴDiamond水機タとならんでいるところは、なんとなく、神秘的なかんじがするのだった。



微かに震えて

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 だから、罠を張った。
 それが鳴海だ。
 鳴海なら猟犬を上手く釣れる。
 転移用の端末を鳴海に持たせ、猟犬を十分にひ牛奶敏感きつけた所で登場、叩き伏せて封印という
筋書き。
 鳴海からリンの存在が気取られないように、一人で動くように仕向けた。
 そっけない言葉。気付かれるように置いたライターの箱。 魔神云々という与太話。
 もちろん、鳴海に万が一の事態が起こらないように注意は払った。
 保健室で手にした椅子、アンモニアの瓶、絡まった足、屋上に逃げようと思いついたのも、
全ては偶然ではなく、リンの魔法による必然。
 そのくらいの魔力であれば、猟犬がリンの存在に気づくリスクは低い。鳴海が居るのだから。
 結果、猟犬は釣れた。

 全てはリンの計算通りだったハズだ。


 さて、とリンは考える。
 ここまで魔力が使えない康泰旅行社とは思わなかった。
 唸る猟犬を見据えて、漏れそうになる溜息を飲み込む。
 ピンチですよ。いっぱいいっぱいですよ。
 と律儀に教えてやる必要もない。

 右手で拳を作る。力なく握られた手はいる。
 手首が砕けている状態では、握力なんて期待できないか。
 今は神経伝達をコントロールして痛覚を断ち切っているが、修復の際には感覚を戻さねば
ならない。
 その時の痛みを想像すると陰鬱になってくる。

 猟犬がリンを中心とした円を描く。
 半径がやや大きいのは、警戒の大きさに比例しているからだろう。
 空間座標を自由に書き換える事で、リンはNeo skin lab 代理人視界内をタイムラグゼロで移動できる。
 普段なら何の役にも立たない工夫だ。




失明させる

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「そうねえ」
 シヅ子の、しんから幸福そうな低い笑い声が聞えました。
 自分が、ドアを細くあけて中をのぞいて見ますと、白兎の子でした。ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、親子はそれを追っていました。
(幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のよ甩頭髮な者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る)
 自分は、そこにうずくまって合掌したい気持でした。そっと、ドアを閉め、自分は、また銀座に行き、それっきり、そのアパートには帰りませんでした。
 そうして、京橋のすぐ近くのスタンド.バアの二階に自分は、またも男めかけの形で、寝そべる事になりました。
 世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない[#「人間は決して人間に服従しない」に傍点]、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称《とな》えていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋《オーシャン》は世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚えて来たのです。
 高円寺のアパートを捨て、京橋のスタンド.バアのマダムに、
「わかれて来た」
 それだけ言って、それで充分、つまり一本勝負はきまって、その夜脫毛優惠うから、自分は乱暴にもそこの二階に泊り込む事になったのですが、しかし、おそろしい筈の「世間」は、自分に何の危害も加えませんでしたし、また自分も「世間」に対して何の弁明もしませんでした。マダムが、その気だったら、それですべてがいいのでした。
 自分は、その店のお客のようでもあり、亭主のようでもあり、走り使いのようでもあり、親戚の者のようでもあり、はたから見て甚《はなは》だ得態《えたい》の知れない存在だった筈なのに、「世間」は少しもあやしまず、そうしてその店の常連たちも、自分を、葉ちゃん、葉ちゃんと呼んで、ひどく優しく扱い、そうしてお酒を飲ませてくれるのでした。
 自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中というところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思うようになりました。つまり、これまでの自分の恐怖感は、春の風には百日咳《ひゃくにちぜき》の黴菌《ばいきん》が何十万、銭湯には、目のつぶれる黴菌が何十万、床屋には禿頭《とくとう》病の黴菌が何十万、省線の吊皮《つりかわ》には疥癬《かいせん》の虫がうようよ、または、おさしみ、牛豚肉の生焼けには、さなだ虫の幼虫やら、ジストマやら、何やらの卵などが必ずひそんでいて、また、はだしで步くと足の裏からガラスの小さい破片がはいって、その破片が体内を駈けめぐり眼玉を突いて事もあるとかいう謂わば「科学の迷信」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たしかに何十万もの黴菌の浮び泳ぎうごめいているのは、「科学的」にも、正確な事でしょう。と同時に、その存在を完全に黙殺さえすれば、それは自分とみじんのつながりも無くなってたちまち消え失せる「科学の幽霊」に過ぎないのだという事をも、自分は知るようになったのです。お弁当箱に食べ残しのごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ食べ残しても既にそれは、米何俵をむだに捨てた事になる、とか、或いは、一日に鼻紙一枚の節約を千万人が行うならば、どれだけのパルプが浮くか、などという「科学的統計」に、自分は、どれだけおびやかされ、ごはんを一粒でも食べ残す度毎に、また鼻をかむ度毎に、山ほどの米、山ほどのパルプを空費するような錯覚に悩み、自分がいま重大な罪を犯しているみたいな暗い気持になったものですが、しかし、それこそ「科学の嘘」「統計の嘘」「数学の嘘」で、三粒のごはんは集められるものでなく、掛算品牌推廣公司割算の応用問題としても、まことに原始的で低能なテーマで、電気のついてない暗いお便所の、あの穴に人は何度にいちど片脚を踏みはずして落下させるか、または、省線電車の出入口と、プラットホームの縁《へり》とのあの隙間に、乗客の何人中の何人が足を落とし込むか、そんなプロバビリティを計算するのと同じ程度にばからしく、それは如何《いか》にも有り得る事のようでもありながら、お便所の穴をまたぎそこねて怪我をしたという例は、少しも聞かないし、そんな仮説を「科学的事実」として教え込まれ、それを全く現実として受取り、恐怖していた昨日までの自分をいとおしく思い、笑いたく思ったくらいに、自分は、世の中というものの実体を少しずつ知って来たというわけなのでした。



解放せられ

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 自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打SmarTone 上網算も無い好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。
 しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然《がくぜん》として、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥《ひわい》で不名誉な雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。
 堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうが、しかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙な手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校改善橙皮紋の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電で自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦《にが》さを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。
 堀木は、また、その見栄坊《みえぼう》のモダニティから、(堀木の場合、それ以外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分を共産主義の読書会とかいう(R.Sとかいっていたか、記憶がはっきり致しません)そんな、秘密の研究会に連れて行きました。堀木などという人物にとっては、共産主義の秘密会合も、れいの「東京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。自分は所謂「同志」に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青年から、マルクス経済学の講義を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、いちども欠席せずに、そのR.S(と言ったかと思いますが、間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、ほとんど初等の算術めいた理論の研究にふけっているのが滑稽に見えてたまらず、れいの自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会合に無くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。この、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単純で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをして来ました。
 好きだったからなのです。自分には、その人たちが、気にいっていたからなのです。しかし、それは必ずしも、マルクスに依って結ばれた親愛感では無かったのです。
 非合法。自分には、それが幽かに楽しかったのです。むしろ、居心地がNeo skin lab 好唔好よかったのです。世の中の合法というもののほうが、かえっておそろしく、(それには、底知れず強いものが予感せられます)そのからくりが不可解で、とてもその窓の無い、底冷えのする部屋には坐っておられず、外は非合法の海であっても、それに飛び込んで泳いで、やがて死に到るほうが、自分には、いっそ気楽のようでした。